訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら【第1話】東日本大震災を福島第一原子力発電所で経験~災害のはじまり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
今回は2022年1月26日に福島県富岡町の帰還困難区域のうち,一部にて立ち入り規制が解除されたため,今の富岡町夜ノ森駅周辺がどうなっているのかを見てきました。
富岡町は福島第一原子力発電所事故により一時は全町避難を余儀なくされ,その後帰還困難区域となり自由に立ち入ることができなくなっていました。
今回は富岡町のうち,夜ノ森地区周辺の立ち入り規制が10年10か月を経て,解除されまた一歩復興へと近づきました。
復興に向けて一歩ずつ進んでいますが,町には廃墟も多く寂しい印象を受けます。そんな町の今を見てもらい,少しでも復興に興味を持って頂けたらと思っています。
双葉町,大熊町,富岡町が現在どうなっているのかを定期的に更新しますので応援お願いします。
「昔よく行ったあの場所はどうなっているの?」「家の周りがどうなっているか知りたい」など要望頂ければ見てきますのでコメントください。
忘れてはいけない「記憶」を少しでも「記録」に残し「後世へ」・・・震災の「経験と教訓」を無駄にしてはいけない・・・繰り返さないために「今できること」を・・・
今を正しく知ることはふくしま復興の一歩となります。ブログを読んで少しでも多くの方に共有してもらえると嬉しいです。
夜ノ森駅周辺の立入規制緩和区域は?
福島第一原子力発電所事故により富岡町に指定された帰還困難区域の一部で,2022年1月26日に立ち入り規制が解除されました。
夜ノ森駅周辺の立入規制緩和区域は下図の通りとなっています。
⇩立ち入り規制緩和に関する動画もあわせてご覧ください。
夜ノ森駅周辺の現在は?
夜ノ森駅前周辺住宅
⇩町のいたるところに汚染した廃棄物の入ったフレコンバックが仮置きされています。
黒い袋は見た目からも物々しさを感じます。
生活感のある家屋。
奪ってしまったものの重みを実感させられます。
色あせたりさび付いたものは時間の長さを感じさせ悲しくなります。
民家の庭先にはフレコンバックと瓦礫が放置されいます。
家屋の解体はあちこちで行われており,解体後の更地も目立ちます。
庭先の土は除染のため掘り起こします。
そのため,あちこちで⇩の様に土むき出しの庭があります。
汚染させてしまったことによる特徴の一つでもあります。
⇩昔は夫婦が仲良く座っていたのかもしれません・・・
木村歯科医院
歯医者も色あせホコリをかぶっていました・・・
結婚式場_パレス華の樹
震災前は多くの結婚式が行われていた幸せの象徴とも言える場所です。
「将来ここで結婚式を挙げる!」と思っていた方もいるのではないでしょうか。
今となっては華やかさはなく,静まり返っています。
式場内は瓦礫が散乱したまま放置されていました。
チャペルに向かう階段には中央に大きな木が生えており,行く手を阻むようでした。
10年以上放置された証拠とでも言うかのようです・・・
チャペル内は天井が落ちで瓦礫が散乱し無残な状態でした。
多くの方の幸せが詰まった思い出の場所なのにとても残念でなりません。
式場駐車場には一台車が残されていました。
ガラスが割られ,車上荒らしにあったようでした。
まとめ
今回夜ノ森駅周辺と結婚式場を周ってみて改めて原発事故により失ったものの大きさと,残酷なまでに長い時間の経過を思い知らされました。
特に結婚式場は幸せを象徴する場所で,一生に一度の晴れ舞台でもあります。
そんな幸せの詰まった思い出の場所が無残な状態になってしまっているというのはとても悲しくてなりませんでした。
元に戻すことはできないですし,何かを代わりにすることもできないものです。これからできることは震災前以上に元気な富岡町を取り戻すことだと思います。
少しでも多くの方に富岡町を知ってもらい,少しでも早い復興に繋がればと思います。
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