訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら【私の体験談】東日本大震災と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
第11話_福島第二での生活
これは⇩第10話からの続きです。
今回は⇩の頃に経験した話です。
迷子のペット
過酷な現場で作業員を癒してくれたのは皮肉にも迷子になった犬や猫たちでした。
イチエフ構内には家族と別れてしまい迷子になった犬や猫が迷い込んできました。
汚染しているため建物の中に入れることはできません。
作業員は全面マスクにタイベックの姿で可愛がりながら,少ない食料を分け与えていました。
きっと心配している家族がいるんだろうなぁ
可哀そうなことをしてしまったんだな
と思いながらもすり寄ってくる姿を見て思わず可愛がりました。
傍から見ると真っ白なタイベックと全面マスクの集団が犬や猫をかわいがる姿は異様に見えたに違いありません。
人がいなくなった町は動物にとって自由の天国だったのかもしれません。
特にイノシシはすごい勢いで増えているのか,そこらじゅうで見かけました。
その中には地震でけがをしたのか,ほかの動物にやられたのか分かりませんがケガをした猫もいました。
動物病院はもちろんありませんし,おそらく汚染しているため治療してあげることもできません。なでてあげることしかできないことがとても申し訳なく悲しくなりました。
⇩当時残されたペットの映像がありますのであわせてご覧ください。
福島第二の体育館
そんなイチエフでの生活も4月下旬頃には寝泊まりが福島第二の体育館でできるようになります。
ただ,最初は体育館に何もない状況でしたが銀マットと寝袋は支給されました。
銀マットすごい!寝ても痛くないし温かい!
と感動したのを覚えています。
生活環境は徐々にですが改善されてきます。
5月中旬にはベットが配備されようやくまともに寝れるようになります。
6月上旬には簡易的なシャワールームが設置されようやく現場後に汚れを落とすことができるようになります。
その頃には食事も非常食からお弁当になってきました。
私が一番印象に残っているのはイチエフで食べたカップラーメンです。
非常食ばかりの日が続いたある日,イチエフで震災後初めてカップラーメンが支給されました。
冷たいごはんばかり食べていただけに,久々に食べた温かいカップラーメンの味は格別においしく感じたのを覚えています。
生活環境が改善されていくことで,みんなの表情にも少しづつ笑顔が見えるようになってきました。
みんなで体育館に寝泊まりするなんてことは普通の社会人生活ではありません。
部活の合宿に似ているかもしれません。
寝る前にみんな自分の好きなことや将来の夢などを話していました。
そんなこともあったおかげで,みんなの絆はとても強くなったと思います。
そんな福島第二ですが,震災直後は福島第一と同じく爆発の危機的状況にありました。
⇩福島第二の震災状況が分かる映像がありますのであわせてご覧ください。
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この続きは⇩をご覧ください。
映画「fukushima50」
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故について映画「fukushima50」で忠実に表現されていますので,ぜひ一度ご覧ください。
⇩ブログで紹介していますのであわせてご覧ください。
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