訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら【私の体験談】東日本大震災と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
第8話_震災後のイチエフ
これは⇩第7話からの続きです。
今回は⇩の頃に経験した話です。
イチエフ到着
イチエフにつく頃にはなれない全面マスクが頭を締め付けるせいで,ひどい頭痛に襲われていました。
バスはイチエフの構内に入り免振重要棟へ向かいます。
私は頭痛で顔をしかめながら構内を見渡すと,そこら中地震の被害で悲惨な状況となっていました。
道路は陥没し,建物は壊れ,瓦礫がそこら中に散乱しています。
バスが免振重要棟に到着すると免振重要棟の入口に案内されます。
免振重要棟の中に入るには装備してきた全面マスクとタイベックを脱衣し汚染検査をしなければいけません。
全面マスクやタイベックの表面には汚染物質が付着している可能性があるため,脱衣するときは裏返しに脱ぎ汚染拡大防止を図る必要があります。
なれない脱衣に戸惑いながらもようやく全面マスクを外すことができました。
汚染検査を受け,緊急対策本部に向かいます。
緊急対策本部の中は異様な雰囲気が漂っていました。
みんなの顔を見ると緊張感と疲労感が伺えます。
久しぶりに上司や同僚と再会でき嬉しい気持ちになる一方で,話を聞くと「昼夜問わず作業を行っておりみんな体力的,精神的に限界」という状況でした。
当時の仕事はできることをみんなでやるというもので部署関係なくできる人が作業をしていました。
現場は放射線量が高いため一人が長時間作業することができません。また,防護装備も全面マスクとタイベックで重装備となるため体力的にも非常に厳しい状況でした。その上,現場作業は事故の状況に合わせて臨機応変に対応する必要があるためいつ声がかかるか分かりません。
休めるときに少しでも休んでいつでも作業に行ける状態にしておく必要がありました。
⇩当時のイチエフを紹介した映像がありますので併せてご覧ください。
吉田所長
上司から現状について聞いていると突然怒鳴り声が聞こえます。
ざわついていた緊急対策室が一瞬静かになります。
円卓を見ると吉田所長が本社と会議をしていました。
事故直後から不眠不休で頑張っていて一番疲れているはずの吉田所長ですが,私の目にはその後少し曲がったろ姿がとても大きく頼りがいのあるものに見えました。
私の記憶には吉田所長は現場作業員を一番大切に考えてくれているという印象が非常に強いです。
本社から無茶な指示が来てもきっぱり「出来ない!」と断ることができる人でした。
一方イチエフでの吉田所長は本当に部下思いで自分が一番疲れているはずなのに現場の状況報告をした部下に対して必ず「ご苦労!ありがとう!」と言っていました。
今のイチエフがあるのは吉田所長がいたからこそだと思います。
もし吉田所長でなかったら現場の作業員はたくさん死んでいたかもしれません。
私も含めイチエフを守ったのは間違いなく吉田所長です。
本当に偉大な人を亡くしました。この場を借りて心よりご冥福をお祈り致します。
⇩書籍「死の淵を見た男(吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日)」で詳しく吉田所長の体験について書かれていますのでよろしければご覧ください。
⇩ブログでも紹介していますのであわせてご覧ください。
⇩吉田所長のインタビュー映像がありますのであわせてご覧ください。
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この続きは⇩をご覧ください。
映画「fukushima50」
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故について映画「fukushima50」で忠実に表現されていますので,ぜひ一度ご覧ください。
⇩ブログで紹介していますのであわせてご覧ください。
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