【原発事故の今】大熊町シリーズ②_西大和久周辺と公園の現在_2022年2月時点

復興の軌跡
ふくしま復興し太郎
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訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。

~簡単なプロフィール~

2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災

 ⇒体験談はこちら【私の体験談】東日本大震災津波と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)

・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク

・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中

今回は大熊町の特定復興再生拠点(西大和久周辺と公園)に行って,震災から10年以上経った大熊町の現在がどうなっているのかを見てきました。

大熊町の特定復興再生拠点は2021年11月に立入規制が緩和され,日中であれば自由に立ち入ることができるようになりました。

これから復興が本格化しますが,今はまだ廃墟だらけの町となっています。そんな町の今を見てもらい,少しでも復興に興味を持って頂けたらと思っています。

復興に向けて一歩ずつ進んでいますが,町には廃墟も多く寂しい印象を受けます。そんな町の今を見てもらい,少しでも復興に興味を持って頂けたらと思っています。

双葉町,大熊町,富岡町が現在どうなっているのかを定期的に更新しますので応援お願いします。

「昔よく行ったあの場所はどうなっているの?」「家の周りがどうなっているか知りたい」など要望頂ければ見てきますのでコメントください

忘れてはいけない「記憶」を少しでも「記録」に残し「後世へ」・・・震災の「経験と教訓」を無駄にしてはいけない・・・繰り返さないために「今できること」を・・・

今を正しく知ることはふくしま復興の一歩となります。ブログを読んで少しでも多くの方に共有してもらえると嬉しいです。

大熊町の帰宅困難区域は?

大熊町は特定復興再生拠点での放射線被ばくリスクが十分低減したことを受けて,2021年11月に特定復興再生拠点での立入規制を緩和しました。

大熊町の特定復興再生拠点は下図の通りとなっており,大熊町全体の2割程度です。

それ以外の場所は帰還困難区域となっており,未だに自由な立ち入りは出来ません。

大熊町は特定復興再生拠点を優先的に除染やインフラ整備を行い,2022年春ごろの避難指示解除を目指しています。

⇩関連ニュースの動画もあわせてご覧ください。

大熊町の現在は?

西大和久の公園

ふくしま復興し太郎
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西大和久にある公園を見てきました。

ふくしま復興し太郎
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地震により柵が倒れており,そのままとなっていました。

ふくしま復興し太郎
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⇩このベンチは私の好きな場所の一つで,夏の夜によくここに座って星を眺めていました。

静かな場所で星もよく見えるお気に入りのスポットでした。

西大和久周辺の民家

ふくしま復興し太郎
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⇩草が伸びて扉を塞ぐようになっていました。

この扉が最後に開いたのはいつのことなのでしょう・・・

長い時間を感じさせます。

ふくしま復興し太郎
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⇩草木が好き放題に生えて家までたどり着けなくなっていました。

しばらく家に帰ってないのでしょう・・・

ふくしま復興し太郎
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⇩除染を行うために土を掘り起こしていました。

ふくしま復興し太郎
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⇩作業場も工具もすべてボロボロになっていました。

ふくしま復興し太郎
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⇩地震で倒れたのでしょうか。片付けもできないまま時間だけが過ぎています。

ふくしま復興し太郎
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⇩家の中にまで草が生えていました。

ふくしま復興し太郎
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⇩ぷーさんはずっと家主の帰りを待っているのでしょうか・・・

悲しげです。

まとめ

今回大熊町内を周ってみて,時間が止まったままの場所が多く残っている印象を受けました。

特別復興再生拠点となっていますが,震災前に戻るにはまだまだ時間がかかると思います。

一方で人気のない町というよりは,あちこちで工事が行われており少しですが活気が戻ったように感じました。

町民の姿はなく作業員しかいないのは残念でしたが・・・

しかし,ようやく復興に向けて進みだした様に感じました。まだまだ小さな一歩ですが,進んでいることに間違いありません。

時間はかかると思いますが,震災前より活気のある大熊町になることを願います。

⇩他にも大熊町についてブログで紹介していますのであわせてご覧ください。

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