訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら【私の体験談】東日本大震災と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
第4話_大熊町からの避難
これは⇩第3話からの続きです。
今回は⇩の頃に経験した話です。
明朝
外がうっすら明るくなってきた頃,外から何かが聞こえます。
こんな朝早くになんだ!?
と思い窓を開けると,町内放送でした。
避難指示が発令されました。住民の皆様は直ちに最寄りの避難所に避難してください
町内放送では繰り返し避難を呼びかけています。
慌てて食堂に向かうとみんな集まっていました。
どうする?
とりあえずいってみよう
そう言ってみんなで避難所に向かいます。
避難所にはバスが用意され住民が次々乗車していました。
隣で町民が役場の人に怒鳴っています。
どういうことなんだ!
どこに行くんだ!
いつ戻ってこれるんだ!
全部家に置いてきたんだぞ!
役場の人は一睡もしていないのか疲れ切った顔をしながら
わかりません!
これからどうなるかもどうするかもわからないんです!
とりあえずバスに乗ってください!時間がありません!
と叫んでいます。
住民は何も分からないままバスに乗せられていきます。
しかし数台しかないバスは直にいっぱいになります。
私と同僚は次の避難所の場所を聞き,自分の車で行くことにしました。
避難
寮に戻って準備をしていると,自衛隊の車が町内を確認していました。
私達の近くに自衛隊の車が来ると中からは全面マスクと防護服を装備した自衛隊が降りてこちらに来ます。
恐怖が過ぎりました。私達はマスクも何もしていないのに自衛隊の人はフル装備です。
自衛隊の人は近寄ってくると
大丈夫ですか?直ちに避難してください!
と言ってきました。
私は
何が起きているんですか?
と聞きますが,自衛隊の人は
私たちも詳しくは分かりません。
でも急いで避難してください!
しか教えてくれません。
わけがわからない状況ですが,自衛隊の服装から急いで逃げないといけないということだけは分かりました。
私達は財布と携帯電話だけ持って急いで車に乗り込みます。
そして次の避難場所である田村市の体育館へ向かいました。
体育館に着くと先に避難した住民が集まっていました。
体育館の入り口で受付をし,中に入ります。
体育館の中は3月ということもあり冷え込んでいました。
皆毛布と水を貰い身を寄せ合っています。
急なことのため十分な暖房設備は準備されていません。
こんなところで寝たら凍え死んじゃう
と本気で思いました。
一息ついてから郡山市に住んでいる親に避難したことを電話すると,
田村市ならすぐ迎えに行けるよ
と言って迎えに来てくれました。
親が迎えに来てくれたときは
やっと落ち着ける
と心の底から思いました。
郡山市の実家につく頃にはすっかり夜になっていました。
久々に母親の手料理を食べ,慣れ親しんだ自分の部屋に行くと緊張の糸がほどけたのか倒れるように眠ってしまいました。
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この続きは⇩をご覧ください。
映画「fukushima50」
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故について映画「fukushima50」で忠実に表現されていますので,ぜひ一度ご覧ください。
⇩ブログで紹介していますのであわせてご覧ください。
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