訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら【私の体験談】東日本大震災と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
第6話_変わり果てたJヴィレッジ
これは⇩第5話からの続きです。
今回は⇩の頃に経験した話です。
いわきへ
テレビでイチエフを見るしかできない日々が続き,3月下旬に入った頃上司から電話が来ました。
大丈夫か?!今どこにいるんだ?
郡山の実家に避難しています
そうか。無事でよかった。
郡山に避難しているやつがいるからそいつとイチエフに来てくれ
正直テレビで散々ひどい状況を見ているため,イチエフに行く恐怖はありましたがそれ以上に何もできていない自分に嫌になっていました。
ようやく役に立てるかもしれない!
そう思い
はい!行きます!
と即答しました。
後日,郡山に避難していた同僚と合流しイチエフに向かいます。
その頃にはガソリンもある程度安定して買えるようになっていました。
まず車で向かったのはいわき市小名浜です。
小名浜も海側は地震と津波の爪痕がいたるところに残っていました。
人も車も少なく活気がなくなっているように感じました。
⇩当時のいわきの映像はこちら
被害状況を横目に小名浜にある物流センターへ車を走らせます。
通常そこでは火力発電に使用する石炭などを船で輸入するために使用しています。
非常事態ということで控え所を借りていたそうです。
Jヴィレッジへ
物流センターに到着すると控え所に案内されます。
受付で
貴重品や汚染して困るものはこちらに置いていってください
財布や携帯電話もですか?
お金は使うところがないので必要ありません。
今まで戻ってきた人は全身汚染して帰ってきます。
持っていったものは持って帰ってこれないと思ってください。
と言われます。その頃の私はまだイチエフの怖さをよく理解していなかったのだと思います。
怖さよりも行かなければいけない。みんな頑張っているのだからという使命感でいっぱいでした。
あとに聞いたところ,イチエフから帰ってきた人の中にはあまりにも汚染がひどくて衣服どころか髪の毛をすべて切り落とした人もいたそうです。
控え所に行くと着替え一式(作業着(つなぎ),靴,下着)を渡されます。
皆それに着替えると私服と貴重品を預けて準備されたバスに乗り込みます。
バスで向かう先は楢葉町にあるJヴィレッジです。
Jヴィレッジにつきバスを降りるとそこには以前あった一面緑のグラウンドはなく,たくさんの車が止められていました。
私は少し寂しくなりながらも「今は仕方ない」と自分を納得させました。
⇩震災後のJヴィレッジ映像はこちら
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この続きは⇩をご覧ください。
映画「fukushima50」
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故について映画「fukushima50」で忠実に表現されていますので,ぜひ一度ご覧ください。
⇩ブログで紹介していますのであわせてご覧ください。
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