訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら【私の体験談】東日本大震災と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
第7話_時の止まった町
これは⇩第6話からの続きです。
今回は⇩の頃に経験した話です。
準備
バスを降りてJヴィレッジの中に進むとたくさんの作業員と資材で溢れていました。
入口でウロウロしていると上司が見つけてくれました。
来てくれたか!
大丈夫だったか?
と聞くと私をみんなの所へ連れてってくれました。
私のグループはJヴィレッジの2階の廊下に集まっていました。
久々の再開に嬉しくなりました。
ただ,中には震災直後から夜通し復旧作業に当たっていた同僚もいて,疲れ切った様子でした。
でも,そんな状況だからこそ皆わざと明るく振る舞っていたように思います。
話を聞くと現場は相当過酷な状況だそうですそれでもその話し方からは苦痛ではなく
メンバー
俺たちでやるんだ!
という意志が伝わってきます。
私も
少しでも役に立とう!
と決意しました。
Jヴィレッジではイチエフに向かうための準備をします。
私はここで初めて全面マスクを手渡されました。
初めて見たときは
こんなものを付けないと行けない様な場所なのか!?
と驚きと恐怖を感じました。
他にもタイベックと食料が手渡されます。
初めてタイベックを装備したときは
雨具みたいであったかいな
と思いました。
その時はまだそのタイベックで真夏に地獄を見ることになるとは思ってませんでした。
タイベックを装備し全面マスクと食料を持ってバス待ちの列に並びます。
⇩当時のJヴィレッジでのインタビュー映像はこちら
イチエフへ
バスに乗り込むとついにイチエフへ向けて走り出します。
Jヴィレッジを出発してすぐの国道6号線では検問が張られ警官が警備しています。
そこから先は立ち入り禁止区域です。
検問を抜け楢葉町を後にします。
富岡町に入りますがもちろん人の気配は一切ありません。
聞こえるのは私の乗っているバスと風の音だけです。
倒壊した建物や車がそのまま手つかずになっていました。
本当に時間が止まっていると感じました。
変わり果ててしまった町の様子を目の当たりにし,言葉にならない虚しさだけが心に残りました。
その頃の私にはまだ失ったものの大きさと罪の重さを正しく理解することはできませんでした。
⇩富岡町の被災状況が分かる映像はこちら
大熊町に入る手前で運転手が
もうすぐ大熊町に入ります。
全員全面マスクを装備してください。
といいます。
大熊町からは全面マスクが必要なエリアとなるため,全員急いで全面マスクを装備します。
初めての全面マスクは息苦しさと締め付けの痛さで
すぐにでも取りたい!
と思うものでした。
⇩国道6号線の富岡町~大熊町の映像はこちら
バスは大熊町を走り,しばらくすると遠目にイチエフが見えてきます。
私の中にはイチエフに対する怖さもありましたが
ようやくイチエフに戻ってこれた
という気持ちの方が大きかったと思います。
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この続きは⇩をご覧ください。
映画「fukushima50」
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故について映画「fukushima50」で忠実に表現されていますので,ぜひ一度ご覧ください。
⇩ブログで紹介していますのであわせてご覧ください。
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