訪問ありがとうございます!私の簡単なプロフィールは⇩こんな感じです。
~簡単なプロフィール~
・2011.3.11 20歳の時に福島第一原子力発電所で被災
⇒体験談はこちら 【私の体験談】東日本大震災と原発事故~第1話_災害の始まり~ – ふくしま復興し隊 (fukushima-fukkoushitarou.com)
・原発事故の体験と教訓,廃炉作業の今を伝えていくことがライフワーク
・多くの人に福島の今と魅力を伝え,興味を持ってもらい復興に貢献するため活動中
第1話_災害の始まり
今回は⇩の頃に経験した話です。
日常
私は当時,福島第一原子力発電所で設備の点検や修理を行う仕事に就いていました。
入社して間もない私は分からないことだらけで,先輩に迷惑をかけながらも一生懸命仕事をしていました。
発電所設備はとにかく複雑で,初めは設備図書を見ても何が何だか分かりませんでした。先輩に教えてもらいながら一つずつわかるようになっていきますが,それと同時にとてもよく考えられて発電所が作られていることを気づかされました。
発電所には何百という設備があり,それぞれがそれぞれの目的を持っています。お互いの設備はいろんな形で繋がっており,一つがダメになっても次が動くように作られています。
発電所を運転する当直員は日々訓練をしており,現場のことは何でも知っていました。難しい運転操作はもちろん,小さな弁でも番号を言われれば迷うことなく現場に行きます。当直員は発電所運転のプロフェッショナルであることは間違いありません。
当時の私は発電所のことを知るにつれて
これだけ何重にも安全装置があるんだから,同時に全部がダメになるなんてことは,隕石でも落ちてこない限りありえないだろう
と思っていました。
⇩震災前の東京電力福島第一/福島第二のCMが発電所概要の参考になりますのであわせてご覧ください。
地震の予感
当時はちょうど忙しい時期で,みんな毎日残業しながら仕事を頑張っていました。
年度末も近いことから現場作業は大詰めを迎えており,事務所には工事報告書の山があちこちにできていました。
忙しく過ごしながらも,2011年1月2月はやたら地震が多かったのを覚えています。
地震大国日本に住んでいるので小さな地震はさほど気にも留めませんが,それでも震度3や震度4が月に数回あるので
最近地震多い気がするなぁ~
と思いながらもあまり深く考えていませんでした。
三陸沖にて3月9日「震度5弱」,3月10日「震度4」が発生しました。
あまりにも頻発するので,みんな薄々異変を感じていたのだと思います。
当時同僚との会話で
最近ほんとに地震多いよね。昨日も震度5弱だったし,今日も震度4だし福島ばっかりなんかおかしいよね
こんだけ地震頻発するのは異常だよね。そのうち大きい地震くるかもねぇ~。
と話したのを覚えています。
当時おかしいとは思いつつも避難準備をしたり,ハザードマップを確認したりということは一切しませんでした。そもそもそんな準備が必要だという考えにすら至りませんでした。
大きい地震が来るかもしれないとは思いつつも,それで原子力発電所がどうこうなるなんて思いもしないどころか,もし大きい地震が来たら家よりも原発の方が建物が頑丈だから安全だろうとも思っていました。
*今思うとあまりにも想像力と危険意識が低かったと思います。入社間もないとは言いつつも,既におごりと過信があったのかもしれません。
2011年3月11日 14時46分
その瞬間は突然訪れました。
「ドドーン!」「ドガがガガガ」
突き上げるような激しい揺れに見舞われました。
その時私は事務所で仕事をしていました。
当時地震が頻発していたため,当日も揺れ始めた瞬間は
また地震か・・・
ほんとに最近多いなぁ・・・
この忙しいときに勘弁してほしいよ
と思っていました。
ところがその日はいつもと違いました。
いつもなら5秒,10秒程度で終わる地震がいつまでも終わらないのです。
10秒,20秒と時間が経つにつれ収まるどころかどんどん強くなります。
机の上に積まれた報告書がバタバタと崩れ始めます。
事務所で仕事をしていた私は近くにあるプリンターが揺れて落ちそうになるのに気づき,咄嗟に押さえました。
しかし,地震はさらに強くなります。
机の上のパソコンやモニタが落ち始め,本棚が次々と倒れだします。
まずい!これ死ぬかもしれない!
と思い,プリンターを抑えていた手を放し,急いで机の下に向かいます。
「ドガガガガガガ」という激しい地響きと物が崩れ落ちていく音に交じって,あちこちから悲鳴が聞こえてきます。
騒音に紛れながらも上司が
みんな早く机の下に隠れろ!!!
と叫んでいます。
激しく揺れ,物が床一面に散乱する中,ふらつきながらなんとか机の下に逃げました。
しかし,地震はさらに激しさを増します。力いっぱい机の脚にしがみつきますが,机ごと右へ左へ揺さぶられます。
止まれ!止まれ!止まれ!止まれ! 止まれ!止まれ!止まれ!止まれ!
心の中で必死に叫びますが,一向に地震は収まりません。
ついには事務所の天井が崩れ始めます。割れた蛍光灯や鉄骨が目の前に落ち,ほこりが舞い上がります。
みるみる視界は失われ,あっという間に瓦礫に閉じ込められました。
地震は3分程続きました。
ようやく地震が収まり,机の下から瓦礫をどけて這い出します。
目の前にはつい先ほどまで見ていた事務所はありませんでした。
窓ガラスはほとんど割れ,天井は落ち,本棚は倒れています。
足の踏み場はなく,むき出しになった鉄骨が折れ曲がりこちらを向いています。
上司が
みんな大丈夫か!避難するぞ!
と叫びます。
あたりを見回すとケガをし流血している人,本棚に潰され身動きが取れなくなっている人,恐怖で泣き崩れ動けない人があちらこちらにいます。
私の隣の机に隠れていた同僚はあまりの恐怖で泣き崩れ動けなくなっていました。
私は
逃げますよ!
と言い,同僚の手を取り事務所から避難しました。
事務所の外ではすぐさま点呼が始まります。
幸い私の所属していたグループでは大したけがもなく全員無事でした。
安心したのもつかの間,また地震が来ました。
本震(震度7)よりは弱い地震(震度5弱)です。
それでも,ぼろぼろになった事務所は「ギシギシ」「ガタガタ」と音を立てて揺れます。
隣にある免振重要棟に目をやると,こちらの建物はほぼ無傷でした。
免振重要棟の点検が行われ安全が確認されると皆中に入っていきます。
円卓ではすぐさま対策本部が設置され緊張感のある空気が漂います。
当時の私は入社したばかりで何をやっているのか分かりませんでしたが,吉田所長が声を荒げて指示している姿は鮮明に覚えています。
⇩東日本大震災発生時の映像がありますのであわせてご覧ください。
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この続きは⇩をご覧ください。
映画「fukushima50」
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故について映画「fukushima50」で忠実に表現されていますので,ぜひ一度ご覧ください。
⇩ブログで紹介していますのであわせてご覧ください。
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